私は、同窓会というものに、ほとんど参加したことがないのだけど、もう年金を貰い始める両親が、「同窓会に来ない人は、来る自信がないのだろうな。」みたいなことを言っていた。この夏、同窓会じゃあないけど、後輩と、同級生の結婚式があったのだけど、出席しなかった。持っていくお金が…というのは、無職だし、考えたけど、それ以上に…



 無職だし会わせる顔がない。



 ということだった。その想いが先行しているせいか、二件とも招待状の返送をしなかったし、結局、携帯のメールで返事をすることになった。長く会ってない同級生には、適当な理由をつけ、後輩には「無職だし会わせる顔がない。」と、ちゃんと、心情を話した。

 これで、二つの結びつきが喪失したな…と思ったのだけど、後輩の方は、同じく出席する後輩から「その日、会って飲まないですか?」みたいなメールが、割と、執拗にきたけど、お断りさせて貰った。無職なのが悪いのだろうけど、彼らに自信を持って会うことはないだろう。同級生の方も、飲み会の誘いがあったが、お断りさせて貰った。あ、今日か。どっちにしろ、この肉体的なしんどさ(喘息)じゃあ無理だったな。


 こうして、人との繋がりが失われていき、同窓会とか行かなくなるのだろうな。


 昨晩のこと、兄から母親にメールがあったみたいで、「職場の女の子を紹介したい。」みたいな内容で、速攻でお断りさせて貰った。無職の人間に女性を紹介しようという神経・精神が既に狂っているし、その裏に何か意図があるとしたら、いまいましい。次に会ったら糾弾しようと思ったのだけど、きっと、出来ないだろうな。

 断ったが、母親から詳細を聞くと、「25歳くらいで、大学時代に演劇経験があるとか」で、私が就職をしていて、自信があったなら、会うぐらいしたかもな…。速攻で断ったはずなのに、どこか勿体ない気がしたのも、いまいましい。そんな思いがグルグルして、昨晩はうなされて、風邪を引いていた。

 それで、改めて気がついたけど、私は、女性と交際するとかも、既に無理なんだな…ということだった。この文章を書いて、今日が、小早川凛子さんとのデートだということを思い出した。



 今年の夏、お盆の頃に、ややこしい親戚がお墓参りとかの関係で、泊りに来た。そのややこしい親戚が来ると、私は、精神的・肉体的体調を崩すから、正直、嫌なのだが…。お墓参りの帰りの車中だったと思う。


「姉ちゃんは、入る墓とか買っているのか?」

「買ってる訳ないやろ。本家の墓にも入れへんし、無縁仏やな。」


 という感じで話していた。「無縁仏」という言葉の意味を、その時、知った。人は、何か、その状態に名前がついていると、安心できるらしい。私が死ぬ時は、順番通りに行けば、両親、兄が死んでいて、最後に死ぬのが私だ。結婚もできないだろうし、私の死体を片付けるのは、誰か?なるほど、自分は、無縁仏になるんだな、ということがその時、分かった。



 無職になって、職業訓練校を出て、日々、色んなモノを失っている。特に、この夏に失ったモノは大きい気がする。だけど、自分のことながら、不謹慎だけど、なんだか、ブログ的に考えたら、新しい局面に入ったようで、なんだか、少し楽しい気もする。だけど、色々限界が近い気がするから、限界が来たら、もしくは、年が明けたら、アルバイトでも探しにいこーか。